やっと仕事が一段落付いて、買っておいた『クイックジャパン』をさっきつらつらと読んだ。今月号のラジオ特集は、ガゼン面白い。明石屋さんまロングインタビューの「ラジオ=芸人のトレーニングジム論」とか、松本人志の紙上「放送室」とか、鶴瓶インビューのラジオ武勇伝などなど。欽ちゃんのインビューなんかもあって、芸人寿命とラジオを考える上で興味深い。つくづく芸人にとってラジオとは、主戦場であるTVへ向けた極めて重要な補給メディアであるわけだ。
こういった芸人のラジオ論も興味深かったが、一番面白かったのは、欄外に組まれたコラム「私とラジオ」。このなかで、乙一が伊集院光の「深夜の馬鹿力」(TBSラジオ)から受けた影響について寄稿している。
その後、乙一は愛知県の大学(豊橋技術科学大学)に進学して一人暮らしをはじめても、実家の母親に「深夜の馬鹿力」の録音をたのみ、つねにテープを送ってもらっていたらしい。それほどまでに乙一が伊集院から影響を受けていたとはなあ。つーか、これほどまでに乙一が「深夜の馬鹿力」のヘビーリスナーってことを、伊集院は知ってるのだろうか。
追記:その伊集院が人生の師匠として崇めているのは、みうらじゅん。
今度「みうらじゅんチルドレン」という括りで相関図でも作ってみようかなあ。
こういった芸人のラジオ論も興味深かったが、一番面白かったのは、欄外に組まれたコラム「私とラジオ」。このなかで、乙一が伊集院光の「深夜の馬鹿力」(TBSラジオ)から受けた影響について寄稿している。
私が伊集院光さんのラジオ番組「深夜の馬鹿力」を聞き始めたのは一六歳の時だった。当時、アニメ声優のラジオ番組しか聴いたことのなかった私は衝撃を受けた。
私は学校で非常に情けない存在だった。伊集院さんのラジオでは、その<情けなさ>が笑いのネタになっていた。
「自分のこの<情けなさ>は欠点にちがいないが武器にもなるのだ」
「深夜の馬鹿力」を聴いて、そう確信した。価値観の転換がそこで起こった。だれにでも人生上、道の開ける瞬間というのはある。私は自分の「情けなさ」をネタにして小説を書いた。一部の人にウケた。それで今、ご飯が食べられている。ラジオのおかげだ。幸運だった。
『Quick Japan』vol.63 P95~P96
その後、乙一は愛知県の大学(豊橋技術科学大学)に進学して一人暮らしをはじめても、実家の母親に「深夜の馬鹿力」の録音をたのみ、つねにテープを送ってもらっていたらしい。それほどまでに乙一が伊集院から影響を受けていたとはなあ。つーか、これほどまでに乙一が「深夜の馬鹿力」のヘビーリスナーってことを、伊集院は知ってるのだろうか。
追記:その伊集院が人生の師匠として崇めているのは、みうらじゅん。
今度「みうらじゅんチルドレン」という括りで相関図でも作ってみようかなあ。